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アメリカには、良いニュースが落ちていない
せっかくアメリカに会社があって、しかも西海岸と東海岸にオフィスがあって、さらに共同創設者二人はアメリカすべての州での取材経験と、アメリカ東西南北・全7州での生活経験があるわけだから、なるべく大手のメディアが取り上げない「市民たちのアメリカ」を伝えたいと思い、私たちはこのメディアを運営してきた。
前身のBizSeeds(運営パートナーが撤退したので、2021年2月半ばに閉鎖予定)から通算して4年、今後アメリカに進出したい方にも役立つ情報の紹介をモットーに、左派・右派に偏ることなく双方の声を拾い、中道の声を拾い、私たちなりにポリシーを貫いて記事を届けてきたつもりだ。
4年間、おかしなことがあったとしても、良いニュースは転がっていた。若い世代が挑戦する素晴らしいビジネスは、毎日ニュースを発信していた頃は常に見つけられた。しかし、新型コロナの混乱に続く、大統領選挙の一連のゴタゴタが手伝って、アメリカで良いニュースを探そうとしても、現在ほぼ見つからない、どこにも落ちていない状態だ。
ビジネスはネタは、新型コロナでそもそも壊滅状態。社会・政治ニュースは何とも言い難い感じ。暗いニュースばかりなら、「いっそ伝えないほうが良いのではないか?」などと悶々としてしまい、結局、記事をまったく上げられない日が続いてしまった(すみません)。
バーニー・サンダースの「空席の国会演説」
私は2016年の選挙の際、悩みながら最終的にトランプ前大統領に投票した。どうして彼に投票したかについては、一冊の本にまとめて出版している。
当時、私はトランプ大統領に対しては半信半疑な気持ちだった。しかし、常に公約を守る、守ろうとする彼は、米大手メディアが作り出す印象とは違って見えた。支持者たちからすれば、彼は期待以上の大統領だったと言えるだろう。選挙ラリーの熱狂ぶりが、いつでもロックスター並みだったのは、彼が結果を出したからだ。もちろん、誰が大統領であってもそうであるように、彼のすべてが良かったわけではないだろう。少なくとも彼を支援しない人たちにとっては、彼がどんなに公約を守っても(そして、その恩恵を知らないうちに自分が享受していたとしても)、許せない対象だったのは間違いない。
前政権の業績のほとんどは、大手メディアを掌握していた民主党によって、過小評価され続けた。ときには「やりすぎ」としか思えないほど、大統領への攻撃も続いた。事実とは違うようにしか見えない報道もたくさんあった。ちなみに、私は彼の在任期間中、就任1日目から毎日、ホワイトハウスから届くメール日報に目を通し続けた。一日も欠かさず、である。大手メディアの報道が仮にすべて正しかったとしたら、ホワイトハウスからのメールは国民に嘘しか伝えていなかったことになるが、それはとても信じがたい。
私個人がトランプ大統領の発言で一番目を引いたのは、「政治が企業に利用されることをなくす」というものだった。そして、そこに大きく期待した。残念ながら政治と企業の癒着はますます顕著になり、政権交代の最中で悪化してしまった感もある。しかし、現在のアメリカを見る限り、この癒着を押し通すことは、もはや限界に近い気がする。
なぜなら、最近起こっていることには無理がありすぎるからだ。ここでは詳しく書かないが、すでに去った大統領を弾劾し続けることも、ソーシャルメディア上で起きている言論統制も、個人投資家向け株のプラットフォームで起きた特定株の個人投資家売買規制の事件も、結局「力をもった者が自分に都合の良いことを押し通したり、都合が悪ければ抹殺したり、勝手に話を変えてしまう」という事実を露呈させているだけ、と思えてしまう。もしも私のこの見解が間違っているのなら、どなたか教えて欲しい。このように「何かがおかしい」と思うのは、私だけだろうか? 良いものは良い、悪いものは悪いと言葉に出来ること、自由と、そして何より平等を重んじること――それらを権利として国民が持つことが出来たアメリカは、どこへ行ってしまったのだろう?
トランプ大統領という民主党にとっての「叩くべき存在」は、市民に「政治とグローバル企業の癒着」や、そこにある「矛盾」について気づかせるきっかけを生んだと思う。そして最近、滑稽にも思えるのは、政治家も企業も「気づかれてマズイ」という態度に出るどころか、そうした歪みを隠そうとすらしない感もある点だ。本来そんなことは許されることではないのに、社会はどうなってしまったのだろう? 毎日、考えてしまう。
アメリカには、トランプ前大統領と同じように「政治が企業に利用される危険性」を、30年以上前から警告し、政治人生のすべてをかけて説き続けて来た人がいる。それは極左の代表と言われるバーニー・サンダース議員だ。時間がある方は、ちょっとこれを見て欲しい。アメリカでは伝説にもなっている、「空席の国会演説」というものだ。
アメリカで、ホトトギスたちが一斉に鳴くとき
これは1991年、湾岸戦争が始まった翌日の議会の様子を映したもの。ほぼすべての下院議員が議会をボイコットしてしまい、サンダース議員のスピーチを議員席で聞いているのは、たったひとりである。私はいろいろな意味で、これを見た時に大きな衝撃を受けた。彼がここで語った懸念が現実のものとなっているのは明らかだ。また、イラク戦争だけで200兆円も超す戦費がかかったと言われているが、そこで儲かったのは紛れもなく武器商人たちであることは、今なら誰もが知っていることだろう。サンダース議員は極左すぎるし、政策も現実的ではないので、個人的に投票したいと思ったことはないが、この演説から学べることは、たくさんあると感じる。
面白いことに、トランプ前大統領は左派ではないので根本的な政策はことなるものの、サンダース氏との部分的な類似点は、2016年の選挙期間中にも頻繁に指摘されていた。特に両者が説いている共通の政治の最重要ポイントは、「政治は本来の目的である『市民のため』のもの。既得権益は排除し、奉仕に立ち返ることを忘れてはいけない」という点だ。サンダース氏が空席の国会演説を行った当時はインターネットが普及していなかったので、こうした映像が世間には今ほどは回らなかったが、湾岸戦争時にネットが普及していたら、もしかしたら、もう少し早く市民たちは多くのことに気づけたかもしれないと考えたりもする。
誰も聞いていない状態で、正しいと思うことを言い続けるのは難しいことだが、今は言い続けていれば、誰かが必ずそれをキャッチし、その声を広げていける世の中だ。力のあるものが、どんなに意図的に弱き者の声を消しても、それが完全に消えてしまうことはない。だからこそ、私たちは発信を続けねばならないのだろうと、今これを書きながら私も決意を新たにしている。
確かに、広まる声の中には「陰謀論」と呼んでいいような、根拠のない情報もあるとは思う。しかし、それは消された声のすべてではない。本来であれば、ジャーナリズムの専門家である大手メディアが報道すべきであろう「もっと広くに知られるべき情報や声」も、そこには埋もれている。そして、そうした声を意図的に排除する「力ある者たち」への反発は、国民たちの間で日に日に力を増しているように感じる。
今わたしたちアメリカ国民は、大きな岐路に立たされている。ニューヨークやカリフォルニアの都市部、私が以前住んでシアトルなどは「真っ青」と言ってよいほど民主党地盤なので違うかもしれないが、少しでも民主地盤から外れた地域では、新政権誕生に至る選挙の不明瞭さや、その後の言論統制などについての「くすぶり」が、まだ根強く残っているのは明らかである。なんとなく既成事実としての報道は、新政権誕生で「すべてなかったこと」になっている雰囲気もあるが、そこには一般市民の感情と大きなギャップがあるようにみえる。アメリカ人の少なくとも約半分は、ちょっとした「きっかけ」が得られれば、今抱えている問題を正すために立ち上がるのではないか、とも感じる。
家康は「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」と言ったが、アメリカのホトトギスたちは、決して今まで黙っていただけではない。信長に一方的に殺されることも望んでいないし、秀吉に一方的に「鳴く方向」に持っていかれることも、望んでいない。ホトトギスたちが自発的に、思いもよらない形で一斉に鳴くとき、力を持った者たちはどんな対応を取るのだろう? 選挙前からずっと不穏な空気感を感じてきたが、私たち一般市民たちにとってのアメリカは、未だ「革命前夜」だと思うのは、私だけだろうか。ソーシャルメディアを制圧しても、アメリカの半分がこのまま黙ったままでいるとは、私には思えないのだ。