
Contents
保守派、リベラル派は、子供に性別を選ばせることをどう考える?
アメリカの二大政党の共和党(保守)と民主党(リベラル)。人口で見ると保守派、リベラル派の比率は約半々で、両者のものの考え方は、水と油ほど異なると言われている。この企画では、保守派共和党の公式カラーである赤、リベラル派民主党のカラーである青を配して両者の言い分を検証する。
今回は、保守派とリベラル派のアメリカ人に、「誰でも男の子か、女の子か、ノンバイナリー(男女のどちらでもないと認識している人)かを選択できることを幼い子供たちに教えることは、どう社会に役立つのだろうか?」と聞いてみた。
Redの言い分、Blueの言い分


Blueが子供の性多様性を支援する理由とは?
アメリカの小学校や保護者たちは、10歳未満の子供たちの「自分の性別表現」をすでに支援・奨励しているが、子供たちの性別表現をサポートするのは社会と大人の義務だと思う。
自分が子供だったときは、特定の性別になりたいと思った記憶はないし、なにかを決断した覚えもない。私は自分は少年(男の子)だと感じていて、両親や教師も私を少年として扱った。それは10歳になるずっと以前からそうだったし、私の姉も含め、実際ほとんどの人は自分の性別に疑問を感じることなく育ったと思う。
しかし、なかには私とは異なり、非常に困難な幼少時代を送った人もいる(現在送っている人もいる)。少年だと感じていた少年の私と同様、自分の「性同一性」を深く感じているのに、その性が体とは一致しない人もいるからだ。不一致を感じている人にとっては、自分の体が自分のものとは思えず、本当の自分とは異なる自分を表現しながら生きていかねばならない。その気持ちとの格闘による心理的苦痛を口に出せない社会的圧力は非常に大きく、うつ病の発作や自殺を考えることなどと戦い続けなければならないという。
性別表現を研究する医療専門家や児童心理学者は、子供たちがときどき、何かを理由なく話したり、見たことに基づいて人格や役割を選ぶと指摘する。専門家たちは、これを明らかにするために、子供が性別と向き合う段階を通過したか否かを確認する行動と観察結果の経過をまとめた。また、自分の性同一性を自由に表現することができない子供たちや、表現して虐待に苦しむ子供たちには、その後も非常に困難な月日が続く問題も認識している。
親、学校制度、医療従事者、政府や社会の義務は、子どもたちの幸福を守ることだ。子どもの正直な性別の表現をサポートし、成長を見守ることは、その義務を果たすことだと思う。
Redが大反対する理由は3つある!
「性別の多様性」について議論するときに、考慮すべき点が3つある。
(1)性別は2つしかない。これは遺伝的に明白だ。従って子供は、出生時に与えられた性別に統一すべきである。
10歳の子供が何を考えているかについての議論は、失笑を誘うほどバカげており、それを受け入れるのは危険だ。 10歳の子供は、自分が鳥のように空を飛ぶことができると想像するかもしれないが、だからといって、親が家の屋根から飛び降りることを奨励はしない。それと同様に、子供が「心の中で」自分の性別は間違っていると感じたからと言って、親が子供に思春期ブロッカー(第二次性徴遮断薬)や性ホルモンを服用させようと考えるべきではない。10歳の子供は、何が最良かほとんどわからない。だからこそ親は子供たちに適切な行動と世界への理解を教え、導く必要があるのだ。
(2)子供は大人ではない。アメリカでは10歳の子供は自動車を運転したり、酒を飲んだり、合法的に結婚したり、親・保護者・責任のある大人のいない家の中に一人でいることはできない。要するに、10歳の子供たちは、自分で選択できるほど賢くない。
さらに、子供たちは影響を受けやすく、経験が浅い。リベラルなトランスジェンダーとその狂信的な支持者たちが推進する「性別の多様性、ノンバイナリー・ジェンダー、その他の無意味なナンセンス」を、正しく理解するための認知的と、感情的な発達が10歳の子供たちには欠けている。
基本的な性的ヘルスプログラムならば、10歳の子供にも適切“かも”知れない。たとえば、男の子と女の子の身体的な違いを教えるとか。しかし、子供の心の中にある性別への考え方への一時的な興味(社会的構成概念)や、性転換を10歳の子供に教えられることは無謀を超えて、明白な犯罪だ。
(3)性転換ホルモンは、取り返しのつかない不妊を引き起こす。性別の多様性を幼い子供に奨励し、トランスジェンダーになるという子供を支援することは、子供が思春期を経て18歳になり、法定成人になるまでは禁止するべきだ。性転換ホルモンや、思春期ブロッカーは、不可逆的な不妊を引き起こす。10歳はもちろん、たとえ16歳の子供でさえ、自分の人生を変える決断ができるほど、脳と感情は成熟していない。その判断は、現実的ではない。
社会は、単に性的な流行を追うために、「自分の子供を産んで育てる可能性を失う未来」を子供たちに強いるべきではない。