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保守派、リベラル派は「性別に対するポリティカル・コレクトネス」をどう見る?
アメリカの二大政党の共和党(保守)と民主党(リベラル)。人口で見ると保守派、リベラル派の比率は約半々で、両者のものの考え方は、水と油ほど異なると言われている。保守派共和党の公式カラーである赤、リベラル派民主党のカラーである青を配して、両者の言い分を検証するこの企画。
「ポリティカル・コレクトネス」に基づいた言動が推進されるアメリカでは、He(彼/男性)やShe(彼女/女性)という性別ごとの代名詞の使用を避け、各自の性自認(gender identity)を配慮して、誰に対しても They(彼ら)やIt(それ) を使おうという声がある。今回は「相手のジェンダーに配慮したポリコレ」について、両者の意見を紹介しよう。
Redの言い分、Blueの言い分


ジェンダー・ポリコレに関するBlueの意見は?
人々が享受するすべての権利に手を差し伸べることが、社会の義務である。
私はシスジェンダーの男性(心理的性別が生物学的性別と一致する人。身体的に男性で内面も男性ということ)で、自分の性同一性(gender identity)は尊重されるべきだと考えている。だから、私が男性だと自己紹介したのに、誰かが私を女性のように呼ぶことを強く主張したら、私は間違いなく気分を害するだろう。
それと同様に、誰かが私に「自分は男性(または女性、ノンバイナリ-)だ」と明らかにしたら、私は相手が要求するように相手を呼ぶべきだと考える。これは相手の人間の尊厳と、その人の性同一性の重要性を認めることであり、誰もが
他の人の性同一性を尊重する権利を擁護するべきなのだ。
しかし、この見方に反対する人は多い。そして反対者の多くが、彼ら自身が「他人に自分の性同一性(男とか女とか)を認めるように要求していること」を認識できていない。誰もが自分と同じように尊敬に値し、(たとえ自分とは異なる外見でも)自分と同じように性同一性を認識しているとは考えられず、目に見える違いを受け入れることができない人が多いようだ。私には、反対者のこういう態度は偽善的で非科学的に見える。
性別を研究する研究者は、「トランスジェンダー」は心理的性別と生物学的性別が互いに対立することがあると指摘する(男性の外見と女性の内面とその反対)。「ノンバイナリー」にとっての性別識別は、トランスジェンダーや男性、女性よりもさらに複雑であり、この複雑さは広範囲に及ぶという。つまり、人間に見られる性別表現の多様性は自然なことなのだ。
誰かの要望に応えることは、社会に良い影響を与えるようにみえる。それは包括的で、誰でも自分らしく自由を感じることができ、相互尊重は共同体意識を高める。心と体の性別が一致している「シスジェンダー」にとって、これは自分たちのアイデンティティを表現する権利を強化することだ。
だからこそ、社会には様々な性別表現に対する余地が必要であり、その余地があることが社会全体の幸福感を高めることになる、と私は考える。
ジェンダー・ポリコレに関するRedの意見は?
2016年に、トロント大学で心理学の教授のジョーダン・ピーターソン博士が行なった言論の自由に対する力強い講演のビデオ映像がオンライン公開されると、同博士は一夜にして有名人になった。人が好む代名詞を使用しないことを犯罪とする、カナダの立法府で提案されたC16法案についての講演だったからだ。
これは私には、とても滑稽に聞こえる。誰かを「彼」「彼女」と呼ぶことがなぜ、そもそも議論を引き起こすのか? それによって誰かが誰かを不快にさせる可能性があるから、国家がその誰かに特定の言葉を使わせない権利があるなんて、そんなバカげたことを誰が考えるのか。
しかし、アメリカに暮らす私たちは、このバカげた考えをわざわざ説明しなければならないという時期にきている。
言葉は、単なる言葉だ。本質的に言葉は主観的ではなく、客観的だ。たとえば「リンゴ」は木になる果物を表す言葉だ。それ以外の価値や意味はない。「彼」または「彼女」という言葉が、「男性」または「女性」の代名詞として一般的に使用される以外に価値がないのと同じように。
人は、この世界に男性または女性のどちらかとして誕生する。だから、ボブとかジェニーとか、特定の名前を使用しない場合、人は「ジェニーが店に行った」のではなく、「彼女が店に行った」と言うかもしれない。これは言語の機能であって、感情的な意図に基づいているものではない。私たちは「彼」または「彼女」を侮辱として使用しているのではない。これらの代名詞を使用するのは、それが英語と文法の性質だからだ。
もし、誰かがこのアイデアを理解できず、人前で彼や彼女と呼ばれることによって「感情が害される」と主張し続けるなら、私に言わせると、その人は自分の事に没頭する自己陶酔したろくでなしだ。「人は外科的切除と人工ホルモンによって実際の性別を変えることができる」という妄想的な思いつきや、「誰かのナルシシズムや幼児化した感情の成熟度、極端に誇張された重要性のために、人々が英語の正しい使い方を奪われること」は単にバカげている。
人によっては相手のことを本当に「それ」とか「彼ら」だと思うかもしれないし、「彼」や「彼女」と呼ばれることを好むかもしれないが、彼らは私にそれを指示することはできない。彼らが尊敬を望み、それに値するならば、得ることはできるだろうが、もし彼らの主観的で感情的な欲求を守るために、私に世界の客観的認識を変えてほしいと頼んでも、それは決して起こらないだろう。