出汁とは何か?

京都の留学生寮で知った「魚の味がする銀色の袋」

 京都での留学生時代は、腹が減りっぱなしの時期であった。
 留学生寮に住んでおり、人生で初めての自炊生活を送っていた。小さな共同台所で材料を計ったり、切ったり、炒めたり、煮たりして、相当な時間をかけて食事を作るために全力を尽くしたものだ。

 そのうちに、たまらない空腹を満たすには「具沢山のみそ汁」が最高の友であることがわかった。しかし、煮込んだ具材に味噌を溶くだけでは、今まで飲んだ汁物と比べると、どうしても味が物足りない。

 それを改善するべく、僕は共同の台所に置かれた調味料や香辛料を片っ端から見てみたが、何を入れたらいいのか分からない。もうお手挙げかと思ったときに、ちらっと光る銀色の袋が視野に入った。開け口から溢れているものは、まるでペットの魚の餌のようだ。恐る恐る、ほんの少しだけ味を試してみると、圧倒的な魚の味がした。

 でも、「まずは試してみるしかない」と思い、大さじ一杯ほどを鍋に投入してみた。それから5分ほど煮込むと、いつもの共同台所に「家庭の香り」が漂ってきた。僕はさっそくその味噌汁を試食した。美味しかった。念のため、隣の部屋にいた中国人の友人にも確かめてもらった。汁の入ったおたまを口に含んだ途端に、友人の疑わしそうな顔つきが驚きの表情に溶けていった。

 「あれっ、何いれたの?」と彼女は困惑した表情で聞いた。
それで僕は、調味料の袋を持ち上げて彼女に見せた。
「中身は全く分からないけど、この字はダシと読むのかもしれないな」と中途半端に答えた僕。

 ダシとは一体、なんだろう。

 寮の仲間と二人で、純粋で味わい深い味噌汁を啜りながら、「ダシとは何か」ということに考え巡らせた。

味噌汁の主人公は出汁である

 出汁(ダシ)と初めて出会ったあの日から、数十冊の料理本に値する和食のレシピを作り尽くし、数えきれないほどの日本料理店やホテルや一般家庭で和食をいただいた。この経験を積み重ねることを通じて、出汁について大事なことが少しずつ分かってきた。

 まず、真の出汁の世界は、粉だしよりも遥かに広く深いということだ。

 さらに、繊細で上品でやさしい味を料理に与える出汁は、和食の遺伝子にとっては重要な染色体みたいな存在だということである。外国から日本を訪れる者として言わせてもらうと、日本文化で最も魅力的なのは、「どのようなことにでも細心の注意を払う」という点だ。出汁はその例外ではなく、それはまさに「几帳面さを料理という文脈で究極に表現できるもの」なのだと感じる。

 アメリカでも飲食業やグルメの世界において「出汁(Dashi)」という単語は知られている。しかし、出汁は欧米人にとっては新鮮な概念だ。例えば、味噌汁。味噌汁自体はアメリカでも馴染みがあるのにもかかわらず、多くの人は「味噌汁の主人公は出汁である」ことを認識していないだろう。

日本の出汁、ヨーロッパの鶏ガラスープ

 アメリカの人口のほとんどがヨーロッパからの移民である。つまり、主に「ストック」という骨汁で作る煮込み料理で育った人たちだ。

 ストックの基本は、骨付き肉や香ばしい野菜にハーブや香辛料 。それらを長い時間をかけて、じっくり煮込むと骨にあるコラーゲン質がゼラチン質に変わり、口全体に広がる独特な味わいになる。アメリカの一般の台所では、ストックの作り方はそれぞれだ。軽くて透き通るような仕上がりにするために、灰汁を取って余分な脂肪質をすくう人もいれば、灰汁だけをとって、脂肪質を全体に乳化した滑らかなスープを作る人もいる。

 アメリカで遍在する代表的なものは、鶏がらスープだ(もちろん粉バージョンもある)。それは日本の出汁のように様々な煮込み料理の基本であり、作物や穀物や肉等を調理したり、ソースを豊かにしたりする役割を果たす。出汁と鶏ガラスープの共通点は、オーケストラのベースと似ているところだ。全体的な音に一体感を与えながらも、耳を澄ませてもひょっとしたら聴こえないかもしれない、という微妙な位置にいるものの、そして、それがないとどうにもならないという類のものだろう。

 しかし、出汁と鶏ガラスープとは全く別ものである。出汁は世界の料理において独自の部門に入るべきもので、昆布と鰹節を主役とした出汁は、海のストックだ。他のストックは通常、野山の物から作られるが、出汁は日本の自然な地理や海の幸あってのものである(このコラムのために、日本料理のひとつのバイナリーコードである昆布と鰹節に集中させて頂くが、いりこ出汁と干し椎茸出汁に感謝する思いも、もちろんあることを記しておきたい)。

日本文化を表すように深い、出汁

 出汁が他のスープと比較にならない点は、他にもある。鶏ガラや野菜やハーブ等のすぐ使える材料と違い、出汁となる昆布や鰹節が出汁鍋に入るまでには長い期間にわたって熟成され、それが様々な商品になる。 日本のスーパーに並ぶ昆布や鰹節の品揃えをアメリカ人に見せたら、きっと驚くだろう。

 さらに、それぞれの昆布や鰹節は調理法や質が異なり、それに対して格付けがある。たとえば外側が灰色のカビで完全に覆われ、内側は控え目の茜色である本枯れ節には、他の鰹節は肩を並べられない。また、出汁昆布と煮昆布をはっきりと使い分けていることも特筆すべきだ。このような出汁の豆知識を知っているアメリカ人は非常に少ないだろうが、アメリカ人消費者が出汁に魅了されているのは、前述した出汁の特徴が日本文化を表しているように深いからであろう。

出汁は日本の命だと思う

 出汁は不思議でありながらも素朴であるからこそ、アメリカ人にも好まれているのだと思う。出汁の人気は間違いなく高まる傾向を見せているが、出汁に関してはまだまだ知られていないことが多い。

 このコラムを書くために、シアトルのレストランで働いている料理人に出汁について伺ってみたところ、有名フレンチ・レストランの若手のシェフは、「出汁は究極のストックだと思うな。簡単だし、すぐにできるし、それに奥深い。本当に唯一無二なものだ」と話してくれた。もう一人のシェフは、「鰹出汁は味が香ばしく、魅力的だ」と言っていた。また、主婦でもある地元の高校の先生は、「出汁を最初に味わったのは、初めて蕎麦南蛮を食べた時。本当に感動的な経験だった」と言い、「出汁はさっぱりしていながら、豊かで満足感がある。アメリカ人が馴染みのある鶏ガラスープとは全く別物でとっても新鮮」だと、日本の蕎麦屋の風景を蘇らせながら話してくれた。

 「出汁」というものが、アメリカで徐々に浸透しはじめ、アメリカのレストラン・シェフ達が生み出すメニューにも、出汁を使った料理が増えてきた。そんな中で僕にとっての出汁は、和食だけでなく、日本文化や日本語等について、もっと勉強しようと思わされる、ある種の扉みたいなものだ。出汁が持つ力や幅広い使い道を体験するにつれて、つくづく思う。出汁は日本の命である。様々な料理に独特な味を与えるように、これからは日本の出汁が、アメリカ人の食生活に旨味を増していくことだろう。


アッシャー・ラムラス翻訳本
京都・有次の包丁案内 Aritsugu』(小学館)

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