
話題のClubhouseに参加してみた
日本で急速に普及が進んでいる、招待制の音声ソーシャルメディア「Clubhouse」。声を使ったコミュニケーション、今までにないライブ感、インタラクティブ感がウケているらしく、周囲にもユーザーが急増している。私も2月に入ってから利用をスタート。「Room」と呼ばれるオープン・ディスカッションに入り込んでは、いろいろな人の話を聞いている。とても便利で面白く、ついつい長居をしてしまって仕事が少々遅れ気味だ(汗)。
一番おもしろいのは、そこで集う人がリアルでも仲良くなれたりする点。私は日本人がほぼ住んでいないエリアに暮らしているので、そもそもアメリカ国内には日本語で話せる友達がかなり少ない(ビジネスパートナーの村山みちとは毎日話しているけれど)。それがここ一週間で、日本語で話せるような知り合いが急激に増えた。これはとても大きな収穫となったと思う。しかも、みなさん面白い人ばかり!
自分のいない土地にいる人たちの考えを知る
そんなClubhouseで仲良くなった方々のひとり、ニューヨークで活躍中の音楽家・宮嶋みぎわさんが主催された性差別を考えるRoomを拝聴させてもらった。なんと3時間にも及ぶ大激論。森さんの辞任問題があったこともあり、多くの人が参加した(といっても、この会はもっと包括的な問題を語る会なので、森さん批判の集まりではまったくなかったことを明記しておく)。難しい問題を上手にまとめて下さった宮嶋さんには大感謝だ。
土地柄もあって、集まった方々の意見はとてもリベラル。今、私が住んでいる中道色の強い街とは少し異なる「ニューヨークの現状」を踏まえて語る方々の見解は、どれも参考になるものだった。また、同じアメリカ国内のリベラル都市でも、街によって抱える問題が異なる部分があると感じたりした。私自身、アメリカのリベラル都市の代表格・シアトルに会社があるし、昨年まではその近郊に住んでいたので、「うんうん、あるよね!」と思う話もたくさん聞けたが、シアトルではまだ浸透していないニューヨークならではの状況とか、逆にシアトルでは浸透しているけれどニューヨークではそうでもないのかな?と思うこともあったりで、それも大きな発見だった。「やっぱりアメリカって広いから、住む場所によって異なる情報を積極的にインプットするって大事!」と勝手に大納得。ちなみに宮嶋さんのRoomのきっかけにもなった記事はこちら(彼女も記事内に登場している)。
アメリカは、ほんとうに広い。そして多種多様な背景がある人の集合体だ。それは普段から感じていることだが、私自身がそれを一番身に染みて感じたのは、何といっても市民権取得の宣誓式だった。さまざまな出身国、肌の色、宗教的バックグラウンド。そんなバラバラな人たちが一堂に介し、同じ旗の下で宣誓し、移民局を出る時には、みな同じ「アメリカ人」になる。これはある意味スゴイことだなぁ、と思った。けれど裏を返せば、それが「アメリカ」の雑多さを象徴するものでもある。ルーツもバラバラなのだから、ひとつの問題に対する考えも多種多様で、一筋縄にはいかないのも当然なんだろう。
たとえば「差別問題」についても同様で、アメリカ国内で差別問題を考えるような会合に出席すると、問題点とか課題と思うことが、出席する人の属性などによって異なることが多く、とても驚かされることがある。思わぬ人たちが、思わぬ問題に熱心だったりすることもあり、びっくりした経験も少なくない。シアトル近郊を例に取ると、「小学校低学年の性の多様性教育を推進しよう」という動きに対して、ゲイのカップルが誰よりも大反対したり、「アメリカ人女性の地位向上のために国がすべきこと」を勉強する会に行ったら、参加者の90%が男性で、ほとんどが移民だったことなど、ちょっと意外に思えるような経験もした。
だからこそ、フラットな発信を大事にしたい
そんな風に「あれ、意外だな」と思う時ほど、本当は学びのチャンスなのだ。自分の固定概念や常識以外の常識があることを知ることは貴重である。Clubhouseが面白いのは、家にいながら「自分の日常」や「普通」の中にはいない人の情報に繋がることが出来る点。日本のRoomだけでなく、あちこちに出没しているが、コロナで引きこもりがちになっている状態で実現できなかった、刺激あるインプットが久しぶりに出来て、「このSNSいいかも!」と感じている。
世の中は、自分が外に積極的に出ていかねば、聞くことも知ることもなかった情報ばかり。自分が「普通はこうだ」と思っていることの外側に、実は課題をブレークスルーに導けるヒントが往々にしてあるのだとも思う。なかでも特に、「もしかしたら、自分とは違う意見をもっているかもしれない人」を知る機会を閉じてしまう行為は、絶対に避けたいと心掛けている。政治的な分断がみられるこの国で、あくまで「中道という立場を貫きたい」、「批判する前に、両社の声をすべて聞き続ける」という2つの努力し続けているのも、そのためだ。
それでは自分たちは一体、このClubhouseを使って、これから何をすべきなんだろう? この仕組みを使って情報発信をする意味については、社内でも頻繁に話している。さんざん話して、なんとなく見えてきた私たちが取り組みたい挑戦は、「誰かにとっての正解は、誰かにとっての悪になる」とは「ならない」フラットな状態で、異なる背景の人たちが「居場所」と思ってくれるような場所を作ることかもしれないね、というところに落ち着きつつある。
もちろんそれはClubhouseだけでは無理なので、最終的には異なるプラットフォームや、バーチャルとアクチャルの両方の場も必要だろう。すぐには出来ないこともあるけれど、「真の公平さとは何か?」、「分断なく異なる考えの人が融合できる方法は何か?」などは、その挑戦を具現化していく過程で、大真面目に考えていきたい。